宮田又沢川
秋田県
大仙市協和荒川で荒川に合わさる沢。流路の長さでいえば、淀川水系のなかで本流に次ぐ規模がある。この沢は漁業権の扱いがはっきりしない。地元の書き手が秋田県の公報から解禁日を確認して書き写した漁協別の一覧には、仙北西部漁業協同組合の管轄河川として淀川・荒川・宮田又沢川・繋川・心像川・新波川の6本が並んでいる。ところが令和6年1月1日からの内共第11号の漁場の区域21区間には、宮田又沢川という名前が一度も出てこない。秋田県の漁業権は漁場の区域を1本ずつ名指しで並べる型なので、名指しに出てこない川はそのまま漁業権の外になる。免許は5年ごとに更新され、そのときに区域が変わることがあるので、この沢がいまどちらなのかは県の資料だけでは決まらない。竿を出す前に漁協へ確かめたほうがよい。仮に漁業権の外なら遊漁券は要らないが、秋田県漁業調整規則の全県一律の規定は効くので、イワナとヤマメの15センチ以下は周年禁止で、解禁は県規則の3月21日になる。釣りの記録は1件しか見つからなかった。北陸から東北北部の渓を回った書き手が、水量が極端に少なくて、入渓しなかった、と書いたきりで、隣の荒川についても見込みはないと結論している。1990年代後半から2000年代初めの話なので、いまの姿とは違うかもしれない。沢の名前は鉱山と森林軌道の記録のなかによく出てくる。宮田又鉱山は銅山で、享保7年に下荒川村の多治兵衛が発見したと伝えられ、元文2年に宮田銅山として採掘が始まった。享和年間に鍋倉鉱山と改称して秋田藩が試掘したが間もなく放棄され、昭和8年に大鍋倉沢で大鉱脈が見つかって宮田又鉱山株式会社が設立された。昭和15年に帝国鉱業開発、昭和25年から新鉱業開発に引き継がれ、昭和40年9月13日に閉山した。最盛期には250人ほどが働き、共同浴場・保育所・診療所・小学校をそなえた鉱山集落があった。大鍋倉沢沿いに採鉱事務所と選鉱場、ズリ捨て場が置かれていた。この沢に沿って大曲営林署の宮田又沢線という森林軌道が通っていて、淀川本流を行く船岡支線の正式名称も大曲営林署宮田又沢林道船岡支線という。沢の名前が路線名の元になっている。検索するとこれらの鉱山と廃線の記録に埋もれる。釣りの情報を探すなら、荒川や協和と組み合わせて投げたほうがよい。
釣行記1
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